教育予算 OECD加盟国中最低

  1.  このほど発表された経済協力機構(OECD)の発表で、日本の教育予算が国民総生産に占める割合が、加盟28カ国中最低であることが明らかになった。主な加盟国の対GDP費教育予算(%)は次のとおりImg_0338
    アイスランド・・・・・・7.2
    デンマーク・・・・・・・6.8
    スエ-デン・・・・・・・6.2
    フィンランド・・・・・・5.9
    フランス・・・・・・・・・5.6
    イギリス・・・・・・・・・5.0
    アメリカ・・・・・・・・・4.8
    カナダ・・・・・・・・・・4.7
    オランダ・・・・・・・・4.6
    韓国・・・・・・・・・・・4.3Img_0341
    オーストラリア・・・・4.3       
    イタイア・・・・・・・・・4.3
    ドイツ・・・・・・・・・・・4.3
    日本・・・・・・・・・・3.4

 また、私費負担を見ると日本は31.4%でOECD平均の14.5%を大きく上回っている。

 日本以外の加盟国ではほとんどの国で20人学級以下が実現しているのに、日本は未だに40人学級である。このことを見ても経済大国日本の教育予算がいかに貧しいかがわかる。

 OECDは「他国は教育支出が急上昇しているが、日本は教育以外の分野を選んで投資している。将来に向け教育にどう戦略的に投資するかが日本の課題だ。」と指摘している。さて日本は何処に投資の重点を置いているのだろう?

 もっぱら詰め込みだけに頼る日本の教育では、子どもの勉強嫌いは進む一方である。目を輝かせて「勉強が好き!」と答える外国の子どもをテレビなどで見るたびに、日本はこれでは将来が危ないと感じていたが、その謎が解けたようだ。 あとは決断あるのみ。総裁選でも総選挙でもこういう事を公約に掲げてもらいたい。日本の未来のために。

続きを読む "教育予算 OECD加盟国中最低"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

命を大切にする大運動(2)

 "教育が子どもを殺している?”

英語で教育のことをエデュケイションといいます。「引き出す」が語源とか、Img_0172 学生の頃に習いました。子どもが天性持って生まれた素晴らしい固有の力を、引き出し伸ばしていくこと。それが教育だということです。

 ところが今の教育はどうでしょう。これとは全く逆です。国や企業のために役立つ思想や力を叩き込む。これが今の日本の教育です。また、すべての子どもがひとしく教育を受ける権利を保障した憲法に反して、小さい頃から競争による淘汰が押し付けられ、エリートと落ちこぼれが作られています。学力テストを利用して学校間格差もどんどん広げられています。大学にいくには、何百万もの負担が親にかかってきます。

 今の学校は、友達が助け合いながら、学問や技術、体力を磨きあうところではなくなつてしまいました。人を打ち負かし競争に勝つこと、それを「自己責任」でやれというのが日本の教育の今の姿です。

 こんな教育で助け合いや、人間愛、命を大切にする思想が育つはずがありません。つい2日ほど前も、卒業した中学の教師が自分をだめにしたと、ナイフで殺そうとした事件が起こりました。これは日本の教育の氷山の一角にすぎません。

 教育は”国を愛すること”でなく”人間を大切にすること”をこそ中心にすえるべきです。これ以上国の教育が子どもを傷つけ、殺し殺される立場においておくことは許すことがきません。全国民が子どもの教育に関心を持ち、子どもを守るためにすぐ立ち上がろうではありませか。

中学生、高校生、大学生の皆さんもそう思いませんか。思ったら、一緒に命を大事にする運動に参加してください。足元から。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教員採用と学校の透明化を

 大分県の教育人事問題は、単に汚職というより、教育を地に落とした許しがたい事件である。

 しかしこうした話は、もう3~40年も前から東京でもよく耳にしていた。私も教員の端くれだったが、40年前くらいは、就職したら組合にも入るのが当たり前だった。ところがある頃から、急に組合に入る人が減ってきた。いろいろ理由はあるだろうが、組合加入の誘いに、「お世話になった人の関係で・・・・・ちょっと」ということが、普通に話されるようになった。

 当時も口利きで入るなんてけしからんとは思っていたが、もしや当時から金が絡んでいたのだとしたらと思うとぞっとする。

 いずれにしろ「口利き採用される」こと自体が不正であり、子どもを教える立場にある人のなすべき業ではない。

 今の学校は上意下達、職員会議も職員が子どものことを自由に話し合う場ではなくなった。学校というところでは表現の自由も民主主義も遠い昔の話である。 今度の大分の事件は硬直化し、隠蔽化された教育界の暗部をのぞかせたものだ。教育と学校の透明化、民主主義化のいいチャンスにしたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国が押し付ける道徳

 教育基本法が変わっては初めての学習指導要領が発表されました。学習指導要領は教科書はじめ学校教育のすべての基準を定めたものです。欧米諸国では教科書の編集、選択も自由ですし、学校の教育内容も学校が自主的に決めて行います。日本のように国が教育内容を規制する国はありません。

 今度の学習指導要領で特に目立つのが、道徳教育の強化です。中でも目立つのが愛国心教育です。例えば、君が代について言うと、今までは「指導する」とあったのが今度は「歌えるように指導する」に変わりました。卒業式などで歌わない子ども、小さな声でしか歌わない子どもをなくそうというのです。

 歌といのは心情の表れです。無理やり歌わせるものではありません。国歌にしても、自分の国に誇りを持っていれば当然堂々と歌うでしょう。先ほども欧米諸国の例を紹介しましたが、民主主義の国で国家の斉唱を強制している国はありません。

 戦前は、教育勅語で「爾(なんじ)臣民父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し・・・・・一旦緩急あれば義勇公に報じ、以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と、臣民としての道徳を強要してきました。沖縄戦での住民の集団自決のような悲惨な事件もこのような道徳教育がもとになって起こったのです。しかし今は民主主義の時代です。憲法で保障された「思想、信条の自由」は子どもであっても当然保障されなければなりません。

 憲法を守ることが義務づけられている文科省という官庁が、憲法を踏みにじるようなことそのものが、既に非道徳を子どもに教えているようなものです。

 今の日本は国際的には何でもアメリカの言うがまま、国の中は大企業が率先して法を犯している。自衛隊や警察にまで腐敗が及んでいる。こんな日本を良くしていく事が先ずなによりの道徳教育ではないでしょうか。

 国家が国の意に沿う道徳を子どもに押し付ける、こんなことは民主主義の国ではあってはならない事です。発表されたものはまだ案の段階です。圧倒的な批判でこんな理不尽なことは止めさせましょう。戦前の轍をふんではなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「徳育」は先ず大人から始めよう(子ども)

 文科省が小中学校の学習指導要領(案)を発表しました。これから約10年の間、教科書と学校での教育はこの学習指導要領にそって行われす。

 今回の改訂は教育基本法が変えられたことを受け、国の方針を押し付ける傾向が顕著になっています。特に道徳教育では学校ごとに「道徳推進教師」を配置するなど極端な力の入れようです。

 大人の不道徳な行為が子どもにも影響を与えているのに、大人が出来ていないことを言葉の上でだけ子どもに教える。こんなことで子どもの本当の徳育になるのでしょうか。昔から「子どもは親の背を見て育つ」といいます。まず大人が行為で示していくことが徳育の基本です。

 弱肉強食の新自由主義の社会で、力のある大企業はいくらでも税金を下げさせ、弱者からは際限なく搾り取る。こんな社会こそ道徳の荒廃を招き、犯罪の温床になっているのではないでしょうか。

 「何事も隗より初めよ」温故知新、中国の古い諺を、もう一度深くかみしめることが必要です。

 発表されたのはまだ案です。国民的な議論をまき起こしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「君が代不起立」都教委敗訴

 民主主義国家で、国歌斉唱を強制したり、起立しなかったといって差別したりする国があるでしょうか。ただ一つだけありました。日本のそれも首都東京です。

 東京都教育委員会は03年から、卒業式などでの君が代斉唱の折起立しなかった教員を、退職後嘱託として不採用にするなどの差別を行ってきました。これは不当と訴えていた13人、東京地裁は「合理性や社会性を著しく欠く」都の対応として、都教委に対し計2760万円の賠償を支払うことを命じました。

 校長が職務命令を出したことについては「原告の思想・良心の自由に抵触する余地はあるが、指導要領の趣旨にかなう」と判断する矛盾した判決でした。

 憲法13条は国民の個人としての自由の尊重、19条は思想及び良心の自由、21条は表現の自由を明確に示しています。その点不十分な判決ですが、これを土台にして憲法の遵守をこれからも拡げていくことが重要です。

 憲法をおろそかにするどんな公務員の行為も許してはなりません。こういう一つひとつのたたかいこそ、憲法の実現に向けての誓い(憲法前文)の実践です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大学入試センター試験

 センター試験が昨日、今日と行われている。ちょうど60年前私も大学入試で今日あたり駒場のキャンパスにいたのが、何か痛いような思いで帰って来る。この寒さの中、受験生の皆さんのことを思うと自分のことのような気持ちになる。

 私の場合は戦後食料のない時で、公務員をやっていた父の収入では食べていけず、私は担ぎ屋(近郊の農家に行ってサツマイモ等を仕入れ売って歩く商売)をやりながらの受験勉強だった。

 焼けトタンのほったて小屋で、小さなあんかで暖をとりながら夜通し勉強し、朝の一番電車で買出しにいく。そんな今では考えられない浪人の受験勉強だった。20キロほどの芋の重さが今も肩に食い込んできたのを忘れない。

 そんな受験で大学には入ったものの、また学費のためにアルバイト。ついに結核に倒れ10年の闘病生活となってしまった。石川啄木が命を奪われたのと同じ腹膜炎、水がたまってパンパンになった腹をさすりながら、何時死ぬのかと天井を見たままで寝ていた。安静度1という横も向けない状態だった。

 幸いストレプトマイシンという新薬が出来、一命を取り留めたが、まだ闇で買うしかなく薬代のために一家の暮らしは極貧に陥ってしまった。そのため過労で母も倒れた。

 平和な今も受験はやはり大変だと思う。しかし、命をちじめながらやった戦中、戦後のようなことは、いまの人には二度とやらせたくない。戦争は絶対駄目だ。

 そんな受験だったが、シーズンがやってくると不思議にその頃を思い出す。知人の息子さんが二人今日も試験場に行っている。皆さんの健闘を心から祈りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもはお国のためのものじゃない

 中央教育審議会が「学習指導要領の改善について」という答申を出した。今後この答申にもとづいて学校教育の内容が決められていく。つまり日本の子どもたちの将来を左右する重大な答申である。

 先ず最初に言っておきたいのは、ほぼ10年おきに出される答申の中身がガラリと変わることへの不信である。教育は百年の計と言われる。それが10年単位でガラガラ変わるようでは、はじめから信用が置けない。

 次に今度の改定は教育基本法の改悪に基づくもので、憲法13条が規定した国民を個人として大切にするという視点とは逆に、お国のための人間作りを目指していることである。どの親も自分の子どもをお国のために育てたいとは思っていない。子どもは、子ども自身のものであり、どの子も個人として大切にされなければならないのだ。

 第三に、学力が落ちたからといって授業時数を増やし、授業の進め方まで国が決めてくるというガンジガラメの方針だと言うことだ。答申では「学習意欲の増進」を掲げているが、こんな国定の詰め込み教育では子どもの学習意欲は益々なくなるだろう。

 第四に、小学校一年生から英語を教えるということだ。日本語がきちんと使えない子どもが増えている。アメリカの属国ではあるまいし、先ず日本語をきちんと教えることが先ではないか。

 第五に、出来る子、出来ない子とレベル別の教育を考えていることだ。競争社会を小学校から持ち込んでくる。新自由主義はここまで来たかと怒りを覚える。

 第六に、指導要領で「重点指導事項例」を示すとしている。またそれに基づいた学力テストで「教師と学校の成績」を決めるとしている。今から「重点指導事項例」の詰め込み特訓が生まれることは目に見えている。情けない。

 審議委員さんはじめ文科省の役人の皆さん、もう少し目を大きく見開いて世界の教育を見て欲しい。教育という営みは自由が一番好きなのです。

 ともかくこんな答申に基づいて指導要領が作られたら大変だ。被害者は子どもたちです。国民的な議論を巻き起こそう。子どもたちを役(人)害から守るために世論が必要です。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教員の精神疾患休職最多

 文科省の調べで、06年うつ病などの精神疾患で休職した公立学校の教員が4675人にのぼることが分かった。これは10年前の3倍である。年々増え続けている。

 何故こんなことになっているのか。学校の現場を見てみよう。

 まずこの10年で、先生たちの業務がものすごく増えている。いろいろな雑務もあるが、一番大変なのは、毎日の授業案をづくり、下書きしたものをパソコンで打って校長に提出する。これを校長が点検し、修正したものをまた提出。もちろん授業案作りには教材研究や授業方法の検討が必要だ。一人ひとりの子どもの状態も勘案しなければならない。毎日の5~6時間分のこうした作業のため、先生は残業手当の出ない残業を夜遅くまでやっている。昔は手書きのものを一度出すだけですんだ。授業の後の評価もそれにしたがって多岐にわたる。

 次に大変なのは、先生たち一人ひとりが競争させられていることだ。今は勤務評定で給料にも差がつく。ベテランの先生も他の先生の世話を見ているどころではない。助け合って学校づくりをすべき先生達が、一人ひとり孤立し競争させられている。これも大きなストレスだ。

 もぅと大変なのは、わがままな親たちの要求である。うちの子にはこうして欲しいと要求が次々来る。それに応えないとたちまち教育委員会に直訴される。そんな事で新卒の先生が数ヶ月で辞めていくケースも後を絶たない。本来なら校長がうまく手を打つところだが、最近はそれだけの力のある校長が少ない。子どもはかわいいが、親に苛められて鬱になる先生がおおい。

 いま特別支援学級に入ってくる児童が急増している。その殆どが情緒障害で、授業中に騒ぎを起こす児童だ。子どもの育ちに今異変が起きている。

 こんなもろもろの困難のなかで、先生方が精神障害に陥っているのである。しかしこれは先生方だけの問題ではない。つまりは子どもたちが同じ状態に置かれていることである。国際学力調査で常に1~2位をしめるフィンランドの教育が非常に自由なのと対象的である。また授業時数が増える。日本の教育の将来が心配だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

危険な権力側からの教育改革

 崩壊した安倍政権が任命した「教育再生会議」が未だに続いていて、第3次報告なるものを発表した。この会議には不思議なことに教育研究者は一人も含まれていない。

 報告の主な内容は二つ、第一は「道徳教育を教科とする」こと、第二は学校への「バウチャー制度の導入」である。

 第一の道徳の教科化というのは、簡単に言えば教科書を使って教え、通信簿で評価するということである。徳目をお上(権力)が決め、それに従う人間を作る。これは主権在民の日本ではあってはならないことだ。道徳は一人ひとりの心の中の問題で、先生が心をのぞいて点をつけるなどできるわけがない。それを無理にすれば外づらだけいい子、権力におもねる人間を育てることになるだろう。

 道徳教育は確かに重要である。個人の尊厳や基本的人権を互いに守っていくことなど、国民的モラルを養っていくことが求められる。しかしそれは、日常生活のすべての場面で、実生活に基づいて子どもたち自身に考えさせ身に付けさせていくものである。それと欠かせないのが大人の見本である。これがなくては子どもの道徳は絶対育たない。

 第二の教育バウチャー制度の導入。どういうことかというと、子どもが多く集まる学校には予算を多く配分し、少ない学校には少なくという制度である。つまり初等教育から学校格差をつくり、競争社会をそのまま学校に持ち込もうというのだ。こんなことをしたら、近くの学校にしか行かせられない家庭の子どもたちは、はじめから劣った教育を強いられることになる。これは教育の機会均等を定めた憲法26条に明らかに違反している。

 安倍内閣の亡霊が取り付いた「再生会議」など再生させてはならない。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「沖縄戦は『玉虫色』に教えなさい」 文科省

 高校歴史教科書の沖縄戦をめぐっての再申請で、文科省は『日本軍の強制』を削除させた検定意見を撤回せず、再申請でも『強制』や『強要』などの表現は認めませんでした。例えば三省堂日本史Aでは

申請本は「日本軍に手榴弾を手渡されて自決を強要された人びと(集団自決)や、戦闘の邪魔になることやスパイ容疑を理由に殺された人びともおり、沖縄戦は悲惨をきわめた。」とあったものが、最終記述では

「日本軍の関与によって集団自決に追いこまれた人もいるなど、沖縄戦は悲惨をきわめた。」と変わっている。

 文科省は沖縄現地の体験者から軍の強制や命令のもとに集団自決に追い込まれたというたくさんの証言が出ているにもかかわらず、「命令や強制があったという資料」は無い」という検定意見を撤回せず、上記のような曖昧な表現をさせることになった。

 マスコミは、これを「玉虫色」と論評している。真実を教えるべき教科書が、文科省によって歪められ玉虫色に塗り替えられる。これを政治的な介入といわず何というのだろうか。

 審議会の審議は、記録もとられておらず、もちろん公表はされていない。先進国の中でいまどき検定など行っている国は日本だけである。その検定がこの様だ。日本の民主主義は文科省の役人によって踏みにじられていい訳はない。強い怒りをもって抗議する。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

キリスト者と戦争

 昨日上中里の渡辺としさんが亡くなられたという報に接した。私が聖学院中学1年のときの担任渡辺先生の妹さんだ。

 先生は戦後間もなく結核で亡くなられたが、若い素晴らしい先生だった。純粋なクリスチャンで戦争の中でも常に笑顔を絶やさず生徒に接してくれた。特に忘れられないのは、人道主義文学、ヴィクトル.ユーゴーのレ・ミレザブルを語り聞かせてくださったことだ。

 戦争中敵国文学を生徒に語り聞かせるなど、なかなか出来ることではない。それを何回も何回も続けて語ってくださった。生徒はそんな大変なこととは知らず、先生の顔を見ると「ジャンバルジャン、ジャンバルジャン」とはやしたて話をねだった。

  戦後私は大学を出て教師になったが、気がついてみると先生の人道主義と平和主義をいつの間にか受け継いでいた。戦争の中でもクリスチャンとしての節を曲げず生きられた先生の姿が、今も心に焼き付いている。何時かとしさんとその思い出話をしたことがあった。

 としさんのご冥福をお祈りし、思い出の花を手向けたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高校生の学力と総理大臣の答弁

 国際学力テストの結果(57カ国、40万人の15歳の生徒対象)を経済協力開発機構が発表した。日本は科学的活用力、読解力、数学的活用力のいずれも前回より順位が下がり、東アジアの香港、台湾、韓国などより低くなっている。

 中でも意欲を示す指標では、調査した57カ国中最下位となった。

 何故こんなことになったのか。文科省は早速指導要領の検討を命じたようだ。しかしそんな事ですむほど問題は簡単ではない。

 発表結果を見ると、相変わらずフィンランドが1,2位に入っている。フィンランドは日本の締め付け教育とは対象的な極めて自由な教育をを行っている国である。教科書も、教師の教育法もとても自由だ。

 話は少し飛ぶが、国会の総理大臣の答弁を聞いていて、生徒の学力もさもありなんと思った。

 「インド洋での給油が終わって1ヶ月になるが、アフガニスタンでどんな支障が出ているのか」ー『日本に出来ることで貢献していくことが大事であります』。「総理あなたはこの3月まで今度の防衛庁疑惑の舞台になった日米平和・文化交流協会の理事を務めていましたね」ー『実はこの協会がどういうものかよく知らないのであります』。「総理、あなたは参議院選挙の結果は、国民生活の実態と離れていたという認識を示されたが、その結果どういうことをして来たのですか」ー『今いろいろ検討し、準備しているところであります』

 はてさて、実生活への活用力,、意欲共にゼロである。子どものことだけ小手先でいじるようでは、日本の教育はどうにもならないのではないか。何事も隗より始めよである。総理が率先して手本を示してもらいたい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いじめの構造を断ち切ろう

 学校でのいじめだけでなく、幼児虐待から幼児や老人の殺害。次々と起こる事件を見ていると、攻撃の矛先が弱いものへ弱いものへと向けられている。

 何故こんな日本になってしまったのだろう。もうニュースを見たくないという声をどこでも聞く。 

 弱肉強食、弱者切捨ての社会構造が、日本人の精神をさいなんでいるのだ。上から来るいじめが次々と重なって一番弱いところにのしかかって来ている。

 今日の新聞で、生活保護基準を見直す(下げる)という記事を見た。

 生活扶助基準は国民の消費基準との比較で決められてきた。ところがワーキングプアーがどんどん増え、生活扶助基準より低くなった。だからそれに合わせて引き下げるというのだ。

 枡添大臣は報告書を重く受け止め作業を進めたいと言ったという。

 どうなっているんだ!ワーキングプアーの生活を引き上げることこそが日本の課題ではないか。弱者を切り捨て、それに合わせてまた弱者を切り捨てる。こういういじめの構造をなくしていくことこそが政府の仕事ではないか。

 最近自治体が、憲法に係わる問題を極力避けるようになっていると、昨日のニュースが伝えていた。今ある憲法をきちんと守らない役人や政府に法をいじる資格などまったくない。

 憲法は、すべての国民が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障している。

 弱いものを守ることを日本国憲法はきちんと宣言している。憲法はあくまで国民の味方だ。上から下への弱いものいじめの構造を、今こそ国民の力で断ち切ろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「文科省の秘密主義」批判、専門家が意見書公表

 沖縄戦における「住民の集団自決への軍の強制」を削除させた教科書検定に批判が高まり、再修正せざるを得なくなっていた問題に新しい展開がでてきました。

 文科省が専門家の意見を聞いていた段階で、教科書の訂正が終わるまで、「誰が意見を聞かれたか」、「意見の内容」を公表しないよう求めてきました。

 ところが意見を求められていた関東学院大学の林博史教授は「そういう秘密主義こそ教科書のあり方を誤らせる」と、意見発送と同時に「意見書を公表するに当たって」という文書と「意見書」をインターネットで公表しました。

 文書の中で林教授は、「先進民主主義国で、日本のような国家役人による検定が行われている」国は無いとした上で、まず秘密主義をやめ、執筆段階から広く市民に公表し議論を重ねながら練り上げていくべきだと主張しています。

 林博史氏のホームページで「意見書」の内容も見られます。是非みんなで見て教科書を市民のものにしていきましょう。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもの うつ病

 子どもにまで うつ病が出始めた

 昨日のNHKニュースウオッチ9は、文科省のいじめ調査の報道とともに、子どものうつ病に関する北海道大学の調査の内容を報じた。

 いじめ調査で特に気になったのは、「初めにいじめに気づいたのは誰か」で、教師が30%くらいいたのに、親は15%に過ぎなかったことだ。これはうつ病についても同じだった。

 親が経済的困難で共働き、夜までの労働も多く、子どもの状態に気を配るゆとりが無いこと。そうした親に心配をかけたくないと話さない子ども。子どもの困難は親たちの生活の困窮と深くつながっている。

 北海道の調査で、中学生25人に1人がうつ病にかかっているという報告は深刻である。25人に1人と言えば一クラスに1人以上いるということだ。

 手足がよく動かないなどの症状を保健室で訴えても、原因が分からないケースが多いと言う。親が仕事で忙しく、中学生が一人で精神科を訪ねたという可哀想なケースも報告されていた。

 前から問題になっている教師のうつ病の多発とともに、子どものいじめや うつ病が何故多発するのか。文科省は対症療法的な取り組みだけでなく、抜本的な状況の把握と対策を急ぐべきである。

 子どもは未来であり、日本の希望で無ければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『等しく教育を受ける権利』奪う

 文部科学省の中教審教育課程部会がこれから先10年の小・中学校の教育課程(教育内容)のまとめを発表した。

 文部省の教育課程は、10年おきにころころと変わる。10年前には『ゆとり』と『総合学習』を柱にすえ、授業内容も授業時数も大きく削り、民間からもこれで大丈夫かと心配の声が上がっていた。

 今度のまとめでは、これが大きく変わり学習内容も、授業時数ももとに戻った。その上に、考える力やまとめる力が不足しているとして、すべての教科で発表、レポート、報告などを義務付けている。授業の進め方は、子どもの状態を見ながら教師集団が創意工夫して作っていくものだ。それまで強制されては教師の創意など全く切り捨てである。

 義務教育の内容が10年毎にこんなにころころ変わっていいものか。今の学習指導要領では考える力が不足していると言うが、それではその間に教育を受けた子どもはどうなるのか。公立学校の教育は否応なしに指導要領によって強制される。その間に在学した子どもは、憲法に保障された『等しく教育を受ける権利』が奪われたことになるではないか。

 今度のまとめにも非常に無理がある。まとめに従えば、小学校の1・2年生が毎日5時間の授業を受けなければならない。そんなことが無理なのは今から分かっている。また10年たったらがらりと変えるのだろう。

 私立学校も指導要領の大枠は守らされるが、それぞれの学校が独自の一貫した教育方針を持ち、独自の教育課程を持っている。ころころ変わる公立学校が嫌われ、私立志向が強まっているのはそのためだ。公立校が土曜日を休みにしてからも、殆どの私立校では学力の低下を恐れ土曜日の授業を続けてきた。私も私立校に在籍したことがあるが、校長自ら指導要領にとらわれない自由な教育課程と授業を奨励していた。しかし、私立学校に通えるのは一部の裕福な家庭に限られる。

 教育は政治ではない。ころころ変わっては困るのだ。現場や学者の衆知を集め、一貫性のあるしっかりとした方針を出してもらいたい。国民が等しく教育を受ける権利は、侵すべからざるものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

県教委が思想信条の自由侵す

 『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』憲法第19条のこの規定は民主主義憲法の中でも最も重要な条項の一つである。

 神奈川県個人情報保護審査会は、県教育委員会が県立高校の入学式、卒業式で国歌斉唱時に起立しなかった教職員の氏名を校長に報告させていた行為について、[県個人情報保護条例が禁止する『思想信条』に関する個人情報の収集に当たる]という見解を示し、不当なものとした。県教委はこれに従い、05年~07年の報告を破棄する方向で検討を始めた。

 この様な例は、東京などでも行われており、「憲法違反」であると裁判が起こされている。

 神奈川県審査会は「起立しない理由の多くは、過去に日の丸、君が代が果たして来た役割に対する否定的評価に基づく思想、信条にによる行為と推定できる」と判断した。

 君が代、日の丸を国歌,国旗と定める法律を審議した国会で、総理大臣は「強制を伴うものでない」とはっきり答弁した。にもかかわらず、この様な強制が行われていることは、民主主義国家として見逃すことが出来ない犯罪的行為である。

 公立学校が最も重視すべき規範は、指導要領である以上に憲法である筈だ。神奈川の今度の決定はそれに従った最も順当なものと言えるだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

道徳の教科化 見送り歓迎

 安倍内閣のとき総理の肝いりで「教育再生会議」というのが作られた。「国の意向にそった子どもを育てるにはどうしたらいいか」それを答申するのがこの会議の仕事だった。

 そこが出した一番ひどい方針の一つが、戦前戦中のように国が望む道徳観を、教科として子どもにたたき込もうという「徳育の教科化」だ。もちろん教科だから子どもは評価される。

 ところがその方針を受けた中央教育審議会。ここは実際の教育内容を決める場だ。「徳育は子どもの心の問題」それを算数などと同じように教科として教えるなどとんでもない、という意見が続出、結局教科化は見送りになった。

 憲法第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 この憲法の精神は、民主主義の根本である。子どもの時からそれをしっかり身に付けさせていきたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学力って何だ?

 全国一斉学力テストの結果が分かった。

 読み書き、計算は70点後半から80点くらいで良いのだが、肝腎の文章を書く力、物事を考え解決する力が60点台で、劣っているという。

 でもこんなこと、お金をかけてテストしなくても分かりきってることじゃあないですか。

 今の勉強は知識を詰め込むばかり。子どもは遊ぶ暇も無い。

 学校でも主要教科ばかり重視され、絵を描いたり、工作で物を作ったりするような時間はどんどん削られていく。

 人間が物事を解決していく力なんて、教え込みで作れるものじゃない。子どもは昔から、遊びや、物作りの中でそういう力を付けて来たんです。

 文部省が任命したお偉いさんたちが、頭の中だけで考えた指導要領、現場の先生は振り回されて大変ですね。子どもは尚更。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)